世界遺産・文化遺産・自然遺産を古い認定順に紹介します。
遺跡名をクリックすると、各項目に飛びます。
1.アジャンタ、エローラ石窟群 / Ajanta , Ellora
Caves
(1983年 文化遺産登録)ハーラーシュトラ州、アウランガーバード
エローラは、インドのマハーラーシュトラ州、アウランガーバードから30Kmほど離れた村である。
(現地では、エーローラーとも発音する。) ここに世界的に有名なエローラ石窟寺院群がある。
このエローラにある岩を掘って作られた石窟寺院群は、その典型的な遺跡として知られている。
エローラ石窟寺院郡は世界遺産であり、アンコール・ワットやピラミッドと並び、世界遺産の中でも最も印象的な遺跡の一つである。
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34の石窟がシャラナドリ台地(Charanandri
hills)の垂直な崖に掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院(あるいは僧院、僧坊)などから構成されている。
仏教寺院(仏教窟)の数は12窟で、石窟寺院群の南端に位置する第1窟から第12窟がそれにあたる。ヒンドゥー教寺院(ヒンドゥー教窟)は第13窟から第29窟までの17窟、北端に位置する第30窟から第34窟までの5窟がジャイナ教の寺院(ジャイナ教窟)となっている。
それぞれ石窟は近接している上に作られた時期も重なっており、これらの事実はインドにおける宗教の寛容性を表している、といえるだろう。 |
アジャンター石窟寺院は、1815年、ハイダラーバード藩王国の藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたときに、巨大な虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となった。彼はアジャンターの石窟寺院を発見したとき、すっかり放棄されてコウモリのすみかになった石窟のうち第10窟に自分の名前を記している。
アジャンター(अजंता)石窟(寺院)群とは、インドのマハラーシュートラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことをいう。
こんな巨大遺跡群を見てみたい方、テレビなどで配信するのもいいかと思います。世界遺産インドでのエローラ、アジャンタ石窟寺院での撮影、写真撮影、写真集作り、マスコミの皆さん、映像企画にいかがですか? |
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2.アーグラ城塞 / Agra
Fort
(1983年 文化遺産登録)アーグラ
デリーからアーグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルによって1565年に着工され1573年に完成した。その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となった。
アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)に幽閉してデリーに移った。
外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」であるが、城内の宮殿には白大理石も多用されている。ムサンマン・ブルジュの内壁や床は幾何学的な装飾が施された白大理石で出来ている。
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3.タージマハル / Taj Mahal
(1983年 文化遺産登録)アグラ
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インド北部アグラにある総大理石造の墓廟建築。1632年着工、1653年竣工。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれているインド=イスラーム文化の代表的建築。

名前の由来はよくわかっていないが、王妃の名であるムムターズ・マハルを縮めたものではないかという説が有力である。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガムという。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。

タージ・マハルを造るための建材は、インド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、大理石はラージャスターン地方産であるといわれている。その他、碧玉はパンジャーブ地方から、翡翠は遠く中国から、トルコ石はチベットから、ラピス・ラズリはアフガニスタンから、サファイアはスリランカから、カーネリアン(紅玉髄)はアラビアから持ち寄られたものだという。全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれていた。
およそ580m×300mの敷地全体は塀で囲まれており、主に5つの要素から構成されている。赤砂岩で縁取られた南門(ダルワーザー)、正方形で幾何学的に分割されたムガル式四分庭園(バギーチャー)、西側のモスク(マスジド)、東側の迎賓施設(ミフマーン・カーナー)、そして高さ42mの4本の尖塔(ミナレット)を従える墓廟(マウソレウム)である。
マウソレウムは幅、奥行きとも約60m、中央のドームの高さも約60m、東西南北どちらから見ても同じデザインである。ミナレットとともに、100m角、高さ7mの基壇の上に載せられている。ペルシャ建築の影響が顕著であるが、インド的要素も散見される。ヨーロッパからも多くの宝石職人が呼び寄せられたため、一部にはバロック建築の影響も指摘されている。
もっともインドで有名な世界遺産建造物、インド世界遺産のタージマハル。外観の美しさも魅力的ですが、タージマハルがなぜ出来たのか?どうやって?何で?どこからこんな大量に石を持ってきた?建ててそれから、、?と奥が深いタージマハル。もっと詳しく知りたい方はご連絡を。PV制作、映像撮影、収録、ロケーション撮影、ビデオ制作などサプタムへ。
4.コナーラクのスーリヤ寺院 / Sun Temple,
Konârak
(1984年 文化遺産登録)オリッサ州コナーラク
コナーラクのスーリヤ寺院とは、インド・オリッサ州コナーラクにあるヒンドゥー寺院である。
建設されたのは、13世紀の後期東ガンガ朝時代である。ナラシンハデーヴァ1世が王子の頃より建設が始められ、完成には20年近くかかった。祀られているのはヒンドゥーの太陽神であるスーリヤであり、(コナーラクとは「太陽のあるところ」を意味する)境内の広さは約180m×260mある。その境内の中央部には、寺院が建立されると同時に、周囲には多くの祠堂や彫刻が建設された。

スーリヤ寺院を有名にしているのは、壁面を彩るヒンドゥー彫刻である。7頭の馬に曳かれる馬車に乗っていたという太陽神スーリヤの話がインドの古代文学である『ヴェーダ』にあるが、スーリヤ寺院にはそれをモチーフにした馬車が彫刻として残っている。高さ3mの車輪が基壇に彫られ、その数は24に及ぶ。また性的な彫刻でも知られるこの寺院は太陽動物像や女性像、ミトゥナ(性的結合を意味する男女像)でよく知られている。
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5.マハーバリプラムの建造物群
/ Mahabalipurams
Landmarked
building
(1984年 文化遺産登録)タミル・ナードゥ州カーンチプラム
マハーバリプラム(Mahabalipuram)は、インド南部のタミル・ナードゥ州カーンチプラム県に所在し、ベンガル湾に臨むかつての港湾都市。古名はマーマッラプラム。チェンナイ(マドラス)の南約60キロメートルに位置する。
パッラヴァ朝のマーマッラ王やその後裔は、貿易港であったマハーバリプラム(マーマッラプラム)の海岸と岩山に数多くの寺院や彫刻を残した。花崗岩の岩山を掘削した石窟寺院、牧歌的な趣きのある岩壁彫刻や石彫寺院、また、最初期の石造寺院である石積みの「海岸寺院」など、インド中世建築発祥の地のひとつとしてきわめて重要であり、1985年には世界遺産の文化遺産に登録された。ことに、当時の木造寺院を模して壁面にライオンや象などが刻まれた「5つのラタ」と呼ばれる一連の石彫寺院は特異な遺跡として名高い。

かつて貿易港として繁栄した海岸沿いの花崗岩台地には、10を超える石窟寺院が残っている。いずれも小規模であるが、ヴァラーハ・マンダパ窟、マヒシャマルディニー・マンダパ窟、トルムールティ窟、アーディ・ヴァラーハ窟は、建築、彫刻ともきわめて優れているとされる。なお、石窟寺院建築には未完成の状態で建造を中止したものがいくつか散見される。
石窟寺院の柱は初めは太い角柱であったが、しだいに細くなり、柱脚にはパッラヴァ朝のシンボルでもあるライオンが彫られるようになるという変遷が認められる。後世には立ち上がった姿勢を示すライオン柱であるが、マハーバリプラムでのライオンはまだ座った姿をしている。岩壁彫刻、石彫寺院、石造寺院、建造物群の示すものとこちらの遺跡群も色々な種類、色々な建造物の宝庫となっております。
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6.カジランガ国立公園 / Kaziranga National
Park
(1985年 自然遺産登録)アッサム州中央部
インド北東部アッサム州中央部。一角サイの最後の楽園、世界最大のインドサイの生息地。公園の66%が草原で占められ、それがインドサイにとって最良の環境となっている。以前はインド亜大陸全域に生息していた一角獣のインドサイだが、現在は地球上に2000頭ほどしかいない。サイの角は、アラブの短剣の柄の材料として、また漢方薬として乱獲され、1904年の調査の際には、その生息数は200頭にまで減少した。その後の保護活動が奉公し、ネパールのロイヤル・チトワン国立公園と合わせると2,
500頭にまで生息数が回復しているが、今でもサイの角は1キロあたり90万円の値段がつく高級品であり、密猟が頻発している。

世界最大のインドサイ生息地域ですが、公園は保護地区となっており、観光客は車か、ゾウに乗って見学する。車は一度に10台まで、ゾウによるツアーは一日48名までと人数を制限し、自然へのインパクトをコントロールしている。また公園は冠水する雨季(10月から4月)には閉鎖される。
7.マナス野生生物保護区 / Manas Wildlife
Sanctuary
(1985年 自然遺産登録)
インドのアッサム州にある国立公園で、トラやゾウの保護区である。
ブータンにも続くヒマラヤ山麓に位置し、絶滅のおそれのある稀少な固有種であるアッサムセタカガメ、アラゲウサギ、ゴールデンラングール(Golden
Langur)、コビトイノシシなどが棲息していることでよく知られている。

マナス国立公園は、1928年10月1日に指定された面積 360 km²
の鳥獣保護区が端緒であり、1973年にはマナストラ保護区(Manas Tiger
reserve)が設定された。鳥獣保護区以前には、マナス森林保護区(Manas Reserved
Forest)と北カムラップ森林保護区(North Kamrup Reserved
Forest)が設定されていたが、Cooch Behar royal family と
Gauripurのラジャの狩猟用の保護区だったこともあった。
1951年と1955年に面積が増え、391 km²
になった。1985年12月にユネスコの世界遺産リストに登録され、1990年にはカヒタマ森林保護区(Kahitama
R.F.)、コキラバリ森林保護区(Kokilabari R.F.)、パンバリ森林保護区(Panbari
R.F.)が加えられて、マナス国立公園となった。しかし、1992年にユネスコは、密漁の横行やテロ活動を理由に「危機にさらされている世界遺産」リストに加えた。2008年2月25日には、面積が
950 km²
に増加した。
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8.ケオラデオ国立公園 / Keoladeo
National Park
(1985年 自然遺産登録)ラージャスターン州
ケオラデオ国立公園またはケオラデオ・ガナー国立公園はインド・ラージャスターン州にある国立公園で、かつてはバラトプル鳥類保護区として知られていた。ここをソデグロヅルのような絶滅危惧種や希少種が越冬地として過ごす。またここには230種以上の鳥類が生息しており、冬季には鳥類学者が訪れる場所であり、また一大観光地でもある。ここは1971年に保護区となり、1981年にはラムサール条約登録湿地、1982年には国立公園となり、また1985年にはユネスコの世界遺産に登録された。
公園内では希少なソデグロヅルのうち少数の個体群が越冬する。他の種としてはアカツクシガモ、カモメ、ハシビロガモ、オナガガモ、オオバン、シマアジ、キンクロハジロ、ホシハジロが挙げられる。
またマハラジャがこの地で狩猟をすることが1850年頃からの伝統となった。そして英国統治下のインドにおいては総督に対する儀礼として、毎年鴨猟が催された。当時のインド総督であったリンリスゴー卿(Lord
Linlithgow)などは、一人で1年の間に少なくとも4,273羽ものマガモやコガモといった鳥を撃ち殺している。インド独立後、1972年までマハラジャはこの地で狩猟をする権利を認められた。1982年には公園内でこれまで認められてきたバッファローの放牧が禁止された。このため地元農民と下層カーストであるグージャル(Gujjar)の人々、そして政府との間で、死亡者が出るほどの激しい衝突に至った。
と歴史的にも興味のあるケオラデオ国立公園。
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9.ゴアの教会群と修道院群 / Churches
and Convents of Goa
(1986年 文化遺産登録)ゴア
ゴアは、インド半島の西岸、ムンバイの南約400kmにある。16世紀、1510年にポルトガルの植民地となり、ポルトガルの支配地になってから「黄金のゴア」として繁栄を極めた都市であった為、多くのキリスト教の建物が建設され、南アジアにおける一大キリスト教都市となった。16世紀後半には、ポルトガルのアジアへの貿易とキリスト教布教の拠点としてこの地を自国の首都に似せた「リトル・リスボン」を築いた。人々の憩いの場である公共広場を町の真ん中に、その周辺を修道院や大聖堂、総督の宮殿などを建設し最も繁栄した。100以上もある遺跡の中でも、セ・カテドラルは、現存する最大の教会堂で、1619年に建てられた。また、ポム・ジェズス教会には、日本にも布教に来たF.ザビエルの遺体が安置されている。その他、聖フランシスコ教会や聖パウロ修道院遺壁などが往時を語る。

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10.カジュラーホの建造物群 / Khajuraho
Group of Monuments
(1986年 文化遺産登録)マッディヤプラデシュ州カジュラホ
カジュラホは、インド中部、マッディヤプラデシュ州の北部にある。中世の寺院が数多く現存し、そのうちのいくつかはインド美術の中でも特筆すべきものである。
かつてはチャンデッラ朝(10~13世紀)の首都として栄えていたカジュラーホでは、現存する22の寺院を含め、80余りの寺院が950~1050年に建立された。
寺院群は大きく3つに分けられ、東群には外壁に囲まれたジャイナ教寺院群とヒンドゥー教寺院がある。

ジャイナ教寺院群の南にある南群は、2つのヒンドゥー教寺院からなっている。
西群は最大の寺院群で、周囲を庭園に囲まれている。ここに属するカンダーリヤ・マハーデーバ寺院は、列柱を備えたホールをもち、カジュラーホ寺院群の中で最も大きく、装飾の秀麗さでも群をぬいている。3層にわたる壁面彫刻群は動物、神、戦士、踊り子などをモチーフとするが、中には性行為をあからさまに描写したミトゥナ像もあり、おそらくはタントラの思想を象徴しているものと思われる。
18世紀初頭に町は放棄され、寺院群も1838年にイギリス人に再発見されるまで地中に埋もれかけ、草の生いしげるままに放置されていた。現在は小さな村である。
カジュラーホのヒンドゥー寺院は、10~13世紀のインド中北部でよく見られた建築様式の典型であり、縦長の構造、内外の壁を埋め尽くす彫り模様、主尖塔とそれをとりまく尖塔群などが特徴。しかし、へんぴな場所にあるため、インドの同時代の史蹟の中では比較的保存状態がよい。
また東グループにあるジャイナ教寺院のうち最大かつ有名なのは、10世紀中葉にジャイナ教の第23代の祖師ティールタンカラにささげるために建設されたパールシュバナータ寺院である。シカラの下にある寺院本体の部分には、さまざまなポーズをした男女の立像が所狭しとばかりに刻まれ、花で自らを飾る女性、手紙を書く女性などから、交合像として知られる座位で性交する男女などが有名。
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11.ハンピの建造物群 / Group of Monuments at
Hampi
(1986年 文化遺産登録)ハンピ
ハンピの都市遺跡(Group of Monuments at
Hampi)は1986年、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産の文化遺産に登録されました。

ハンピは14世紀から16世紀にかけてイスラム勢力が北方から徐々に拡大してきた時、南インドのヒンドゥー教徒が結束して誕生したのがヴィジャナガル王国でした。数多くの宮殿やヒンドゥー教寺院が造営されたが、16世紀半ばにイスラム勢力の略奪を受け廃墟と化した。
現在は40ほどの遺跡が残っており ハンピは王宮地区と寺院地区の2つに大別されます。なかでも後者に属するヴィッタラ寺院の彫刻群は圧巻です。ハンピ北東端に所在するヴィッタラ寺院は最大規模をほこり、56本の石柱があり、広い列柱ホールの礼拝堂(マンタバ)をそなえている。前殿の柱にはヤーリ(ライオンと象が合体した神話上の生物)が彫られています。寺院正面の車輪には山車(ラタ)がついており、そこにはヴィシュヌの乗り物である神話上の鳥、ガルーダの像を見ることができます、さまざまな神祠や望楼、柱廊や浴場、要塞なども散在している。
またトゥンガバトラ川沿いにあるヴィルパークシャ寺院はシヴァ神に献じられたもので、規模が大きく、南インドに特徴的な寺院建築を伝える現役の寺院である。
1999年以降、遺跡保存に緊急性および特段の配慮を必要とするため、ユネスコの「危機にさらされている世界遺産」(危機遺産)リストに登録されていたが、2006年に除外されました。
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12.ファテープル・シークリー / Fatehpur
Sikri
(1986年 文化遺産登録)インド北部
インド北部、アーグラ近郊にあるファテープル・シークリーは、ムガール帝国第三代皇帝ジャラールッディーン・アクバルが1569~74年に築いた都城。
1560年代後半、ムガル帝国の皇帝アクバルはアグラの西方、ファテープル・シークリーの近くに住むイスラム教徒の隠者を尋ねて、後継者がその年の後半に生まれるという予言をうけた。その予言通りに王子が誕生したので、アクバルはファテープル・シークリーの丘に新しい都を建設したという。

アクバル帝はアグラからここに帝都を移し、5年がかりで建設されたが、水不足が原因でわずか14年後のに廃都となる。
そのまま廃墟となったため400年前の建物がそのままの形で残されています。都城跡には、正門をくぐると造幣局や国庫があり、一般謁見場がある。その背後が宮殿区域、細かな彫刻が施されたアクバル帝の玉座があり、更にその奥に後宮があり、数多くの妃たちが暮らしていた。その他、モスク、墓廟(ぼびょう)、城門、隊商宿(キャラバンサライ)をはじめ、多くの建築物が残っている。
アクバル皇帝は領土の安定統治のため宗教融和策をとり、そのあらわれとしてイスラム建築とインドの伝統技術を融合させたアクバル式と呼ばれる独自の建築様式でファテープル・シークリーを築きました。
他宗教国家インド。様々な宗教が共存しています。世界遺産級の各宗教寺院など、見所は沢山です。映像制作会社の皆さん、インドでの企画はいかがですか?映像配信、インド情報、インドでの撮影、リサーチなどはサプタムへ。
13.パッタダカルの寺院群 / Group of Monuments at
Pattadakal
(1987年 文化遺産登録)ムンバイ南東
6世紀から8世紀にかけてのヒンドゥー教建築は、ピラミッド形をした南部の様式と砲弾形をした北部の様式が混在し、現在、9寺院が残っており、すべて宇宙の破壊と創造を司るシヴァ神を祀ったものである。遺跡では寺院が北から南にかけてほぼ年代順に並んでいる。

なかでも、パッタダカルで最大規模をほこるヴィルーパークシャ寺院は
8世紀にパッラヴァ朝との戦いに勝利して凱旋したヴィクラマディーティヤ2世の栄光を記念するため、王妃ローカ・マハーデーヴィの命で造営され、グンダが設計を担当した寺院である。当時は、王妃の名よりローケーシュワラ寺院と呼称されたという。石でできた壮大な寺院の壁には、悪魔を退散させる無数のシヴァ神像が彫刻されており、3段構造のヴィマーナ(本堂)が戦勝を記念して寺院群の中にそびえる。寺院正面にはシヴァ神に仕える牡牛ナンディの像がある。
他に南インド様式を代表する寺院にマリカールジュナ寺院やサンガメーシュワラ寺院がある。マリカールジュナ寺院はヴィルーパークシャ寺院をやや小規模にしたもので、やはり王の戦勝記念に第
2王妃が造営したといわれている。どちらも屋根は、水平層を階段状に積み重ねる形式[1]になっている。これら南部様式の寺院は、のちにつくられたエローラのカイラーサナータ寺院にも影響を与えたことで知られる。
北部の様式に属する寺院には、ガラガナータ寺院、カーシーヴィシュワナータ寺院、ジャンブリンガ寺院、カダシッデーシュワラ寺院があり、のちの北インド様式に特徴的なシカラに似た塔をともなう。これらは、上述の3寺院と隣接して建てられている。
これらとは離れた場所に単独で建てられたのが、バーバナータ寺院であり、北部の様式に属する。この寺院は、工匠たちによって、柱や天井、壁面いっぱいに「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」などの題材が彫られていることで知られる。天井に彫刻を施したのは前期チャールキヤ朝の建築が初例である。
他に南北両様式混在の寺院もあり、このことは、まだ両様式が完全には確立、分化しておらず、また、チャルキヤ朝歴代の王がインド各地から工匠を集めていたことを意味しているとされる。755年、この地方を約2世紀にわたって支配してきたチャールキヤ朝も、自らの封臣であったラーシュトラクータ朝によって滅ぼされてしまった。それはパッタダカルに続々とヒンドゥー寺院が建設されたわずか10年後のことであった。
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14.エレファンタ石窟群 / Elephanta Caves
(1987年 文化遺産登録)エレファンタ島
エレファンタ石窟群とは、ムンバイ近海のアラビア海に浮かぶ小島エレファンタ島にある石窟寺院のことである。シヴァ信仰の中心地であり、グプタ朝時代に建設が始まったとされている。現在のカルナータカ州を治めたラーシュトラクータ朝(753年-982年)時代から残る彫刻がある。

石窟寺院は、面積は約5,600平方メートルあり、東西の祠堂とメインの列柱ホールから構成される。エレファンタ島に残る多くの彫刻は17世紀に、ポルトガル人が銃の練習の標的として用いられてきたこともあり、往時の外観を損なっています。
中でも重要なのは第一窟です。開掘年代は8世紀にさかのぼります。高さ約200mの岩山の頂上付近にかまえるこの窟は、東北西の3方に入口、南に主神を祀る十字型プランを持ちます。シヴァ神を中心とした神話世界の彫刻が至る所で見られますが、見どころは、奥の壁中央に彫られたシヴァ神三面上半身像です。胸像は544cmに達する巨大な浮彫で、ヒンドゥー教彫刻の最高傑作の1つとされています。
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15.大チョーラ朝寺院群 / Great Living Chola Temples
(1987年 文化遺産登録)タミルナードゥ州
大チョーラ朝寺院群とは、チョーラ朝時代に建設された南インドにおけるヒンドゥー寺院群のことである。なお大チョーラ朝寺院群を構成する寺院は以下の3つである。かつてのチョーラ朝の首都であったタンジャーヴールとガンガイコンダチョッラプラムにあるブリハディーシュワラ寺院の2つの寺院は、1987年に登録された。ダラシュラムにあるアイラヴァテスヴァラ寺院は2004年に登録範囲が拡張され、登録された。世界遺産はこの3つの寺院から構成される。
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16.スンダルバンス国立公園 / Sundarbans National Park
(1987年 自然遺産登録)西ベンガル州
スンダルバンス国立公園はコルカタから南東約100kmに位置しています。世界でも最大規模のデルタ地帯にあたり、東西約250km、南北40~80kmに及ぶ大湿地帯を形成しています。また、周囲一帯はマングローブをはじめとした熱帯雨林が生い茂っています。総面積は1330平方km。

そのため近年減少が著しいベンガルトラ(インド亜大陸最大の棲息地で保護区となっている。)ヒョウ、イリエワニ、ニシキヘビ、ジャングルキャット、マングース、ベンガルタイガー、シカ、ウミガメ、サルなどのさまざまな野生動物が生息しています。(野生動物保護区域)1973年には、特に減少の著しいベンガルトラの保護区に指定されました。
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17.ナンダ・デヴィ国立公園 及び 花の谷国立公園
/ Nanda Devi and
Valley of Flowers National Parks
(1988年 自然遺産登録)ウッタラカンド州
ナンダ・デヴィ国立公園及び花の谷国立公園は、インド北部のヒマラヤ山脈に属し、共に希少種、絶滅危惧種の生息地として知られる。
1988年に貴重なヒマラヤ本来の生態系を持つ(1983年以降、調査目的以外の立ち入りは禁止されている)とされるナンダ・デヴィ国立公園(標高約7800m)が、2005年に豊富な高山植物群で知られる花の谷国立公園(標高約3500m)が、ユネスコ世界遺産に登録された。
ナンダ・デヴィ国立公園及び花の谷国立公園は、インド北部、ウッタル・プラデシュ州、中国およびネパールの国境付近にあり、首都ニューデリーの北東約330Kmに位置しています。
標高7816mの、ヒマラヤ山脈の一角を担う高峰ナンダ・デヴィは、という意味があるらしく、女神ナンダが住む聖地として守られてきました。

絶滅の危機に瀕する大型ネコの仲間であるユキヒョウの最後の生息地でもあり、他にもヒマラヤジャコウジカなどの珍しい動物もも生息しています。
世界の頂点ヒマラヤ山脈群に位置する高峰ナンダ・デヴィ。「祝福された女神」の映像撮影、写真素材だったらバッチリなのでは?!写真家の皆様も写真展の1点に。
18.サーンチーの仏教建造物群 / Buddhist Monuments at
Sanchi
(1989年 文化遺産登録)マディヤ・プラデーシュ州
サーンチーの仏教建造物群は、インドの中部にあるマディヤ・プラデーシュ州の丘陵の村である。(インドの首都ニューデリーの南約580Km)大乗仏教遺跡があり、仏塔・寺院などが多く存在する。

釈尊滅後およそ100年の頃である、紀元前268年頃 ~
紀元前232年にマウリヤ朝の第3代の王であるアショーカ王は、古代インドにあって仏教を守護した大王として知られています。釈尊の遺骨は8つのストゥーパに分骨されていましたが、アショーカ王はさらに分けて、インド亜大陸全土に8万以上の寺院や僧院、ストゥーパを建立しました。
第1塔は大ストゥーパで、第2塔は丘の下に1つだけ離れてたたずんでいて、第3塔は仏陀の高弟である舎利弗の遺骨が納められています。
インドでの仏教寺院。日本の仏教の姿とはちょっと異なります。その違いをご自身の肌で感じてみては?インドテレビ、TVCM、花
写真、牛 写真、映像制作、製作、作成はインドサプタムへ。
19.デリーのフマユーン廟 / Humayun's Tomb, Delhi
(1993年 文化遺産登録)デリー
フマーユーン廟は、インド・デリーにある、ムガル皇帝フマーユーンの廟。その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えた。1562年急逝したムガル帝国フマユーン帝のため、ペルシア出身の王妃ハミーダ・バーヌー・ベーガムが建築を指示し、、およそ9年をかけて建設した墓廟で、完成は1565年です。設計者はペルシア人、サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと父ミラーク・ギヤートゥッディーン二人の建築家で、それまで廟を建設する習慣がなかったインド初の、本格的な廟建築となりました。

正方形の庭園は、水路で他の字形に区切られた四分庭園です。赤砂岩と白い大理石で造られた墓廟本体は、ドーム天井をもつペルシア伝統の建築様式です。外観を壮大に見せるためのドームは2重構造とし、高さ38mの外側のドームの12m下に内側ドームが設けられました。経済政策に厳しかった皇帝への配慮で内部は簡素ですが、ムガル皇帝の権力を象徴する廟建築の礎を築いた建物として貴重とされました。
インドでもっとも有名な建築物タージマハルのモデルともなったフマユーン廟。タージマハルに負けず劣らずの美しさです。
立体写真、面白写真撮影、世界遺産写真集、映像収録、制作などインドはサプタムへ。
20.デリーのクトゥブ・ミナールとその建造物群
/ Qutb Minar and
its Monuments, Delhi
(1993年 文化遺産登録)デリー
デリー南郊にあるクトゥブミナールは、イスラム教徒によるインド支配の開始を記念する建築物である。奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられたものである。おそらくはヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたもので、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されている。そのため、ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。ヒンドゥー教徒の王国を倒した戦勝記念碑でもあり、高さは72.5m、5階建てで各階にバルコニーがついている。だが、1193年、クトゥブ・ミナールの建設者アイバク率いるイスラム教徒に征服され、イスラム王朝の首都となった。しかし、14世紀後半にモンゴル帝国のティムールによって征服、破壊された。

クトゥブッディーン・アイバクの命で1200年頃に建造されたこのミナレットは72.5mの高さを誇り、世界で最も高いミナレットとなっている。これでも地震や落雷などで先端が崩れたものを修復したもので、当初は100mほどの高さがあったという。直径は基底部14.3mに対して先端部2.75mで、文字通りの尖塔である。
内部には378段の階段があり、以前は先端部まで上ることができたが、1982年、照明が消えたことでパニックになった修学旅行中の少女たちが階段で将棋倒しになり、十数名が死傷する惨事となった。この事故以来、内部への立ち入りは禁止された。
クトゥブ・ミナールから北に150mほど離れたところに、未完のミナレットであるアライ・ミナールがある。財政難で工事が中断し、現在は25mの直径を持つ巨大な基底部を見ることができる。完成していれば元のクトゥブ・ミナールを超える、100mを大きく超える塔になっていたとされている。
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21.インドの山岳鉄道群 / Mountain Railways of India
(1999年 文化遺産登録 ; 2005年・2008年拡大)ベンガル州、タミール・ナドゥ州など
インドの山岳鉄道群は、ユネスコの世界遺産登録物件のひとつでダージリン・ヒマラヤ鉄道
(DHR)とニルギリ山岳鉄道(NMR)、カルカ・シムラー鉄道(KSR)からなる。ダージリン・ヒマラヤ鉄道は、インド北西部シッキム州のネパール国境とブータンの近くを走る1881年に開通した世界最古の山岳鉄道で、ダージリンとニュー・ジャルパイグリ駅の83kmを結ぶ。急勾配や急カーブなどにも小回りが利くように線路の幅が2フィート(61cm)と狭いのが特徴。美しいダージリン丘陵とヒマラヤ山脈の山間部を走るトイ・トレイン(おもちゃの列車)は、技術的にも優れた世界的な名声を博する産業遺産で、カンチェンジュンガ(8586m)の山々などヒマラヤ山脈のすばらしい自然景観と共に旅行者の目を楽しませている。

ダージリンは標高2134mの高原リゾート地で、ダージリン茶の産地としても知られている。ニルギリ山岳鉄道は、インド南部タミール・ナドゥ州のメットゥパーヤラムとウダガマンダラム(旧ウーティ)を結ぶ。約17年間の工期をかけて1908年に完成した全線46km、標高326mから2203mへと走る単線の山岳鉄道で、イギリス植民地時代から人の移動や地域開発に重要な役割を果たしてきた。また、カルカ・シムラー鉄道は、デリーの北部約200kmのヒマーチャル・ブラデーシュ州の州都シムラーとハリヤーナ州のカルカを結ぶ96kmの単線で、1903年に供用が開始された。インドの山岳鉄道群は、1999年に「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」として登録されたが、2005年7月の第29回世界遺産委員会ダーバン会議で、ニルギリ山岳鉄道も含めたことにより、登録遺産名も変更され、さらに、2008年の第32回世界遺産委員会ケベック・シティ会議で、カルカ・シムラー鉄道が追加登録された。
2008年現在運行しているインドの山岳鉄道は、あとまだ一つマーテーラーン丘陵鉄道
(Matheran Hill Railway)
が存在する。インド政府は、これも拡大登録されることを目指しており、既に暫定リストには加えられている。
世界最古の山岳鉄道・蒸気機関車には乗った事がありますか?炭で動いている列車。美しいダージリンの山間部をゆっくり走って行きます。雄大な美しい眺めは、日本での生活の忙しさ忘れさせてくれ、リフレッシュできること請け合いです。
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22.ブッダガヤの大菩提寺
/ Mahabodhi Temple Complex
at Bodh Gaya
(2002年 文化遺産登録)ビハール州
ブッダガヤの大菩提寺(ブッダガヤのだいぼだいじ)はインド、ブッダガヤにある寺院。2002年に世界遺産に登録された文化遺産です。
古い煉瓦構造建築様式の1つである。
ユネスコにより世界遺産に登録されている。
お釈迦様が悟りを開いた場所であり、仏教四大聖地の中でももっとも重要な場所です。ビハール州パトナーからおよそ96km離れたところに位置している。
紀元前約530年、僧として放浪している釈迦牟尼がガンジス川支流の森の岸に着いたその位置を示すために造られ、現在の建物は5~6世紀に建てられ、13世紀に破壊されたものを19世紀に復元したものです。インド・マウリヤ朝最後の王であり、仏教の保護者であったアショーカ王が釈迦に贈ったといわれる金剛宝座や、仏教説話を題材とした浮き彫りがある石造の欄干などは、芸術的にも高い価値があるといわれています。

長らくヒンドゥー教の管理下にあり、寺院が整備されず荒廃していたが、1949年にヒンドゥー教徒と仏教徒の各4名と政府要員1名による管理となった。さらに1992年には佐々井秀嶺などによるブッダガヤ奪還運動が行われ、近年では仏教徒のみによる管理へと移行しつつあります。
インドでの仏教寺。インドで巨大大仏の映像撮影、シッダルタがブッダになった場所。日本とインドの仏教のスタイルの違いなどのビデオ撮影、収録などは面白いのではないでしょうか。
23.ビンベットカのロック・シェルター群
/ Rock Shelters
of Bhimbetka
(2003年 文化遺産登録)デカン高原北部のマディアヤ・プランデシュ州のビンディア山脈山麓
ビンベットカのロック・シェルター群は、インドのデカン高原北部のマディアヤ・プランデシュ州のビンディア山脈山麓にある約19万平方キロメートルの範囲の壁画の描かれた岩窟で、五つの岩塊に、合計約400ものロック・シェルター(岩窟)があり一万年以上前の旧石器時代から有史時代の岩窟住居群といわれ、当時暮らしていた人々が描いた赤、黒、白、黄、緑など天然の顔料を用いた色も鮮やかな1000ほどの壁画が残されており、ゾウ、ヒョウ、トラ、サイ、シカ、ウシ、ウマなどの動物や狩猟の様子や採取の様子などその素朴な生活が描かれています。付近の村落には、今も壁画に描かれた風習、風俗に似た伝統文化が残っており、その関連性が注目されています。

未だ、この先何らかの動きが見えそうなインドの世界遺産。この機会に、映像製作、制作、ビデオ編集、ロケ地はインドへ。
24.チャンパネール=パーヴァガドゥ遺跡公園
/ Champaner-Pavagadh
Archaeological Park)
(2004年 文化遺産登録)グジャラート州チャンパネール村
2004年ユネスコ世界遺産に登録されたチャンパネール=パーヴァガドゥ遺跡公園
(Champaner-Pavagadh Archaeological
Park)はインド北西部にある要塞、宮殿、インド伝統の様式で建立されたイスラム教寺院等が残る遺跡で、ムガル帝国支配以前の都市の姿をほぼ完全に残している唯一の遺跡です。
ヒンドゥー教の聖地であるカーリーカタマ寺院の建つパーヴァガドゥの丘の麓に広がる遺跡公園には、銅石器時代の遺跡、8~14世紀の要塞や宮殿、一般住宅や水道施設など、幅広い時代の遺構が散在しています。
インドで唯一の完全像遺跡。マスコミ、映像制作、インドドキュメンタリー、映像収録、フォト、編集などはサプタムへ。
25.チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(旧ヴィクトリア・ターミナス駅)
/ Chhatrapati
Shivaji Terminus
(2004年 文化遺産登録)ムンバイ
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅はインド・ムンバイにある鉄道の駅。ムンバイ近郊鉄道や、他の長距離鉄道も乗り入れている。旧名は「ヴィクトリア・ターミナス駅」
(Victoria
Terminus)。名称が長いせいか、「CST」または「VT」と省略した呼び方のほうがムンバイ市民には通りが良い。インド中央鉄道の本拠地であり、インドで最も乗降客の多い駅である[要出典]。歴史的な建築として、2004年にユネスコ世界遺産に登録された。
1888年に建造された駅舎はベネチアゴシック建築様式で、壮麗で豪奢な建築物である。特徴として、ヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築とインドの伝統的建築の融合が見られる。内部は、木彫やタイル、鉄の装飾や真鍮のレール、切符売り場の鉄柵、大階段の手すり等の装飾はボンベイ・アート・スクールの学生の作品である。この駅は19世紀の鉄道駅建築として驚くべき進歩的な構造と技術力を誇っている。

駅は1887年から1888年に建築家のフレデリック・ウィリアム・スティーヴンスによって設計された。建造には10年かかり、ヴィクトリア女王の治世にちなみ「ヴィクトリア駅
(Victoria
Terminus)」と名付けられた。1996年にシヴ・セーナーの強い要望と、またインドにおける改名論議の一環として、「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス
(Chhatrapati Shivaji Terminus)」と改名。17世紀のマラータ王国の王チャトラパティ・シヴァージー
(Chhatrapati Shivaji)
にちなんでいる。
鉄道が有名な国、インド。この他にも、世界遺産には認定されていない美しい駅が沢山あります。撮影旅行をするのもいいのではないでしょうか。フォト撮影、映像制作、PVCM制作、作成、などサプタムへ。
26.赤い城の建造物群 / Red Fort Complex
(2007年 文化遺産登録)デリー
ムガル帝国の最盛期、皇帝の座にいたのがタージ・マハルを築いたことで有名な第5代皇帝シャー・ジャハーンが、自らの名を冠した新都シャージャハーナーバードにおける居城として築いた。9年の歳月をかけて1648年に完成。第3代皇帝アクバル1世の時代にムガル朝は急成長を遂げ、北インド全体を統治する一大帝国となった。
この新首都における皇帝の居城として1639年から1648年の9年を費やし築かれたデリーのレッド・フォートは、隣接するスール朝時代のサリームガル・フォート(1546年建造開始)と共に、レッド・フォートの建造物群として世界遺産に登録されている。
名称の由来ともなった城壁の赤い色は、建材として用いられた赤砂岩のものである。
1857年のインド大反乱を受けてイギリスは軍の駐屯地としてこれを接収。兵舎が建設されるなど、城内は大きく造り替えられた。インドの独立後も近年まで軍の施設として使用されていた。

2007年には、隣接するサリームガル砦(Salimgarh)と併せて「赤い城の建造物群」としてユネスコの世界遺産に登録された。
ラホール門 -
西側にある正門。城内から見てラホールの方向にあるのでこう呼ばれる。
デリー門 -
城内に勤める者が出入りした南側の門。
チャッター・チョウク(Chhatta Chowk) -
ラホール門とつながるアーケード。市場として使われた。
ナッカル・カーナ(Naqqar Khana) -
時刻や王族の帰還を知らせる音楽が奏された中門。現在は戦争記念博物館となっている。
ディーワーネ・アーム(Diwan-i-Am)
- 一般謁見殿。
ディーワーネ・カース(Diwan-i-Khas) -
貴賓謁見殿。
モーティー・マスジド(Moti Masjid) -
「真珠モスク」。皇帝アウラングゼーブの建造した大理石のモスク。
デリーに立ち寄った際是非見学しに行ってみて下さい。ニューメディア、インターネットメディア、ビデオ制作、インド歴史、新聞、などサプタムへ
エローラは、インドのマハーラーシュトラ州、アウランガーバードから30Kmほど離れた村である。 (現地では、エーローラーとも発音する。) ここに世界的に有名なエローラ石窟寺院群がある。 このエローラにある岩を掘って作られた石窟寺院群は、その典型的な遺跡として知られている。 エローラ石窟寺院郡は世界遺産であり、アンコール・ワットやピラミッドと並び、世界遺産の中
でも最も印象的な遺跡の一つである。
34の石窟が、シャラナドリ台地(Charanandri hills)の垂直な崖に掘られており、5世紀から10世紀の間に造られた仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院(あるいは僧院、僧坊)などから構成されている。
仏教寺院(仏教窟)の数は12窟で、石窟寺院群の南端に位置する第1窟から第12窟がそれにあたる。ヒンドゥー教寺院(ヒンドゥー教窟)は第13窟から第29窟までの17窟、北端に位置する第30窟から第34窟までの5窟がジャイナ教の寺院(ジャイナ教窟)となっている。 それぞれ石窟は近接している上に作られた時期も重なっており、これらの事実はインドにおける宗教の寛容性を表している、といえるだろう。
アジャンター石窟寺院は、1815年、ハイダラーバード藩王国の藩王に招かれて狩猟に参加していたイギリス人士官ジョン・スミスが虎狩りをしていたときに、巨大な虎に襲われてワゴーラー渓谷に逃げ込んだ際、断崖に細かな装飾が施された馬蹄形の窓のようなものを見つけたことが発見の契機となった。彼はアジャンターの石窟寺院を発見したとき、すっかり放棄されてコウモリのすみかになった石窟のうち第10窟に自分の名前を記している。アジャンター(अजंता )石窟(寺院)群とは、
インドのマハラーシュートラ州北部、ワゴーラー川湾曲部を囲む断崖を550mにわたって断続的にくりぬいて築かれた大小30の石窟で構成される古代の仏教石窟寺院群のことをいう。
こんな巨大遺跡群を見てみたい方、テレビなどで配信するのもいいかと思います。世界遺産インドでのエローラ、アジャンタ石窟寺院での撮影、写真撮影、写真集作り、マスコミの皆さん、映像企画にいかがですか?
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